デコとは?
古く縄文時代の「土偶」は人形の始まりでした。やがて土のほか、木で人の形を彫った人形が作られ木偶、これを「でく」或は「でこ」と呼ぶようになりました。何れも人形のことです。ここ高柴では、江戸期の元禄時代から、和紙を使った張り子の人形(でこ)を作っており、その工人の集落を昔から「でこ屋敷」と呼んでいます。
張子づくりのはじまり
ここ、高柴村での張子づくりの始まりは、遠く戦国時代伊達政宗正室愛姫の生家、三春城主田村氏の四天王の一人で、橋本刑部という武将の一族であった橋本家の祖先が、今から三百年ほど前の元禄年間、武士を離れてこの地に帰農し、大黒屋の屋号で信仰、縁起物などの土人形作りをはじめたのが起こりだとされます。
密接な関係
わが国の土人形を代表するものに、西の京都の伏見人形、東の仙台に堤人形がありますが、古くこれから人形の支流は土人形でした。この高柴でも、最初土人形を手がけたらしく多くの土人形の型が残されています。しかもその一部は型状、材質共に仙台・堤人形の土型と同一で、当初は堤人形そのものの移入だったかもしれません。このことは、伊達市と旧田村市家臣の密接な関係をうかがわせます。
表現方法の変化
その後ここでは、この土人形を和紙を用いる張子人形へと発展改良されたのです。人形の動き、立体感などの表現に限界のある土人形から、紙の利点を十分に生かした三春人形は、多様な題材への取り組みを可能にして、次々と独創的な人形を生み出していったのです。その結果、江戸時代の中頃、庶民文化の高まった文化・文政時代を頂点として、江戸を始め奥州各地にも売り出して評判を呼び、天下の名玩とうたわれるように至りました。とくに三春人形は、正面からだけ見せる土人形に対して表、裏、側面のいずれからみても 繊細優美な姿勢をたんねんに作り出します。そのため最も重要なのは木型で、この本家大黒屋には、巧みなノミさばきによる絶妙な古木型の逸品が数多く残されており、いま古人形の復元製作への努力が続けられています。また、大黒屋は日本三大駒の一に数えられる三春駒・子育て木馬製作にあたった御用木馬師で古くから木馬神社を氏神としています。
長い歴史と伝統を受け継いで…
さらに、江戸でも評判になった三春羽子板や独特な八方にらみの高柴ダルマ、天狗や七福神などの張子面と、多くの種類の郷土玩具を長い歴史と伝統を受けついで生み出しています。そして祖先伝来の農業にもいそしみ、土を愛する心を忘れず、すべての工程に心のこもった人間の温か味を込めた手づくりで皆さまをお迎えしております。
橋本 彰一
代表取締役(二十一代)
ごあいさつ
ここでは張子人形を作る伝統が、江戸期の元禄時代から受け継がれて来ました。 今でも三春張子、お面、十二支、ダルマ、三春人形など制作しております。随時、各制作行程の見学、お土産品としての伝統民芸品の販売もしており、 伝統民芸三春張子の絵付け体験も受付けしております。本家大黒屋では受け継いできた大切な伝統を守りつつ、 伝統を発展させこれからも受け継いでいきたいと思っています。
また一方では三百年経つ現在、そして将来に向けた「張り子」の伝授と未来は、私に課せられた大きな課題でもあります。伝統工芸の技術と作品は人から人へと受け継ぎつつ、未来を見据えた新しいカタチの「張り子の世界」。「2011年REVALUE NIPPON PROJECT はテーマを和紙」大きなプロジェクトに参加出来たこともあり、大きな創造と意欲が湧いています。将来の橋本彰一にご期待ください。
また一方では三百年経つ現在、そして将来に向けた「張り子」の伝授と未来は、私に課せられた大きな課題でもあります。伝統工芸の技術と作品は人から人へと受け継ぎつつ、未来を見据えた新しいカタチの「張り子の世界」。「2011年REVALUE NIPPON PROJECT はテーマを和紙」大きなプロジェクトに参加出来たこともあり、大きな創造と意欲が湧いています。将来の橋本彰一にご期待ください。